No.210                        2004.9.8

ひびき
目黒ユネスコ協会 会長加藤玲子
8月は悲しい月だ。今年も8月6日午前8時15分から1分間「広島の平和の鐘」の音が夏空に響いた。この鐘は、香取正彦氏(人間国宝・目黒区名誉区民・1988年11月19日没)の作によるもの。氏は、目黒ユネスコ協会創立時からの会員で、亡くなられたその年まで30余年にわたり「目黒ユネスコ美術展」に必ずご出品下さった。氏の梵鐘は、ユネスコ理念にのっとり平和への祈りを込めてつくられたものであろう。
 広島の鐘は、頭に平和の象徴として2羽の鳩。上部に、日・月・雲の文様で宇宙を表し、中央には、故吉田 茂首相の筆で「平和」の文字。撞座には原子力のマーク。下帯は水文と広島市の紋章。横書きに「国泰民安兵伐無用」の銘文があるという。
 10年ほど前、バンクーバー市のブリティシュ・コロンビア大学構内のアジア・センターを訪れたとき、香取正彦氏の梵鐘に出会つた。この鐘堂に隣接して「われ太平洋の橋とならん」と刻まれた碑が佇む新渡戸稲造記念庭園がある。鐘堂と庭園は、まるで寄り添うように位置していた。お二方ともユネスコの精神に裏打ちされてそれぞれの時代を生きぬかれた。香取氏は、民間ユネスコ協会の会員として、新渡戸氏は、国際連盟の事務局次長、およびその諮問機関として設立された国際知的協力委員会の代表幹事として世界平和のために尽くされた。なお、国際知的協力委員会は、後のユネスコの前身である。
 目黒区では、毎年この月の初旬に「平和祈念のつどい」を催す。式典は黙祷から始まり、ここでも香取正彦氏の「目黒の平和の鐘」の打鐘で終わる。区民センターの一角で打鐘された鐘の音は、平和への祈りをのせて、空を突き抜けて響き渡る。
 この地域に育まれた目黒ユネスコ協会は、間もなく次の半世紀にむけて歩み出す。地球の上の小さなこの地から、また新しい幕を開く。50年前、この協会は、子どもたちへのよびかけから始まった。50周年記念事業も期せずしてアメリカの青年のコンサート、そして世界の子どもたちによる詩集づくりからスタートした。
 子どもの詩集「道・あしたへ」の発行は近い。そこには、子どもたちの心、叫び、夢がぎっしりとつめられている。この夏は、それを形(翻訳など)にするために、国内外の多くの人びとが尽力した。日本からフランスヘ、ギリシャヘとメールやファックスも昼夜なく飛びかった。
 民間ユネスコ運動の役割は、どこまでいっても人づくりのためにあると考える。特に、国内外を問わず、明日を担う若者、幼子にむけて最善の働きをと願う。世代を超えて、地域を越えてその働きが呼応し、いつの間にか大きなうねりとなることを祈る。
 鐘の音がどこまでも響き渡るように、ユネスコの旗のもとに、人と人との心が響きあってこそ、この運動は活かされる。
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