No.212                        2004.11.17

民間ユネスコ運動のこと

目黒ユネスコ協会会長 加藤玲子

 日本人による卓越した技術が世界に評価されていることが、当の日本国内では、あまり知られていない。たとえば、江戸時代から「筆の里」といわれた熊野町(広島〉の化粧筆(メイクブラッシ)が、ヨーロッパからの注文に追われているという。また、明治29年日本初の動力精米機を考案し生産したことに始まる株式会社サタケは、以来、一世紀以上に亘り研究開発を重ね、マジックライスほか、穀類加工技術の分野では世界最大の食品産業総合企業として、今では140ヵ国に輸出するなど、その活躍は目覚しい。
 ひたむきに積み重ねる姿勢は、日本人の生来のもの、さらに、たとえ他に誇るべきものであっても、自ら吹聴しないのも、この民族の性かもしれない。
 したがって、当の国内では、ほとんど知られず、世界の舞台で評価されている働きがこの他にも多々あることだろう。
 日本の民間ユネスコ運動も、そのひとつという。ユネスコ協会会員や関係者には知られていても、国内の認知度は低い。第二次世界大戦後、国際連合に日本が加盟する五年前に国際連合の専門機関「ユネスコ」に加盟できたのも、その土台として民間のユネスコ運動のたかまりがあったからこそ、ということも一般日本人はほとんど知らない。近年、東洋初の事務局長として、前フランス大使をつとめられた松浦晃一郎氏がパリ本部で活躍されておられることと、世界遺産関係で、「ユネスコ」の名が、少しは知られるようになった。
 過日、江戸東京博物館を会場として、関東ブロックユネスコ活動研究会が開催された。(別記参照)日本には、約300の協会(クラブを含む)があり、日本ユネスコ協会連盟は、地域のユ協と共催で、年1回の全国大会とブロック単位(9ブロツク)の研究会を催す。関東のブロック研究会は、各県持ち回りで、6年に1回東京都ユ連が担当する。参加者には、全国共通資料が配布される。内容は、全国のユネスコ協会の活動事例ほか資料編として、各協会の現況報告からみたデータが掲載されていた。総括のページを見ると目黒ユ協の名が2回も登場していた。一つは、会員数で多数であること(平均100名)、もう一つは収支総額が最多であること(全体の47lが50万〜200万)。はじめてこの会に参加された当協会会員は、さぞ驚かれたことだろう。
 目黒ユネスコ協会は、地域に育まれ、会員各位の惜しみない支えによって、いつの間にか多彩な活動体となっていた。それぞれの活動に、なんと多くの方々の英知が活かされているか。感謝のみである。ただ、大きいことだけが、良いのではない。NPO法人の認可も得たいま、佇み、そしてしばし謙虚に身をひきしめる時をもちたいと改めて思う。小さい協会も、大きい協会も、「心をこめたユネスコ活動組織」には違いないのだから。
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  民間ユネスコ運動のこと                                 ・・・・1頁
  目黒ユネスコ協会は特定非営利活動法人に、任意団体は解散         ・・・・2頁
  特別講座 断絶を超えて/ユネスコ平和コンサート ウィーンの風PartV   ・・・・3頁
  アフガニスタンにおける寺子屋運動の現状/関東ブロック・ユネスコ活動研究会    ・・・・4頁
  ユネスコ美術展へのいざない/ユネスコバザー/ユネスコ全国大会 in松山 ・・・・5頁
  お知らせと予定                                     ・・・・6頁

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