No.209                        2004.7.14

50年の歴史を支えたもの
目黒ユネスコ協会会長 加藤玲子

1951年にユネスコ(フランス・パリ)は日本の加盟を承認した。(国連加盟の5年前)それは、ほとばしる平和への希求を表した民間ユネスコ運動に由縁する。すなわち、1947年(昭和22年)の仙台、京都、奈良、神戸における「ユネスコ協力会」の発足等にうながされ、勢いは政府、国会に波及し、行政と民間の協力が一大運動となり日本のユネスコ加盟への機運を高めた。加盟承認の翌1952年、日本ユネスコ国内委員会・同事務局設置、および「ユネスコ活動に関する法律」が公布された。目黒ユネスコ協会は、それから2年を経た1954年に誕生した。
 成り立ちからも理解できるように、この運動は、ユネスコの精神を基として、三つの柱をそなえている。第一に、民間協会は、それぞれ独自性を持つ運動体であること。第二に、その活動は、自発的なボランティアに支えられていること。第三に、ユネスコ活動は、国または地方自治体が自ら行うものでもあること。つまり、ユネスコ協会は、独自な活動を展開しているが、一方、行政との連携活動(協働)を50年以上前から行ってきたのである。目黒ユネスコ協会も発足時からこの柱に沿って歩んできた。目黒ユネスコ協会は、本年創立50周年となる。1950年代にも多くの協会があったようだが、この半世紀間活動を継続し発展させている協会は少なく、東京では1951年創立の杉並ユネスコ協会が先輩協会だ。

 50年の歴史を支えたものは何であったのだろうか。まず、設立趣意書★からも読み取れるように、創立者の方々のその姿勢は謙虚であり、「ユネスコの精神」に真摯に向き合っておられ、続く先達がその姿勢を誠実に受け継がれたこと。目黒区および目黒区教育委員会が法律に基づくとはいえ、発足当初からこの運動を理解され自ら行動されたこと。地域や関係諸氏からの協力を両手に溢れるほどいただいたこと。活動は、結果として時代に即応し、先見性を供えた展開ができたこと。その活動の運営もすべて互いに尊重しあう謙虚なボランティア会員に支えられてきたことなどであろう。ユネスコ活動に関わるボランティアは、できる事を、できる人が、できる時に行動し、ゆとり(寛容さ)をもち、さらに喜びと学びと感謝を持って謙虚にうけとめるものである。ボランティアに上下はない。力のある人はそれを、専門分野を受け持つ人はそれを、そして、たとえささやかな片隅の仕事であっても、ボランティアとして役割や重み(尊さ)は同じであると言える。今後もボランティアによって活動が活かされ、支えられていくことには変わりはない。
 平和は遠い、だからこそ、この運動の明日への備えを50年を機に構築する。その手段のひとつとして目黒ユネスコ協会は、いま法人化を目指している。身のひきしまる思いであるが、創立者と先達の意志を尊び、情熱を秘めて、次代のために歩みたい。喜びを共に・・・と願う。                ★ショートニュースNO194(2003年2月)参照

               ・・・  目   次  ・・・
50年の歴史を支えたもの                      ・・・・1P
NPO認証・成立いよいよ間近 ・ 50周年記念誌・原稿募集  ・・・・2P
50周年記念行事のご案内 ・ Violin Virtuosi         ・・・・3P
感動のビバ!アジア 総合的学習の時間             ・・・・4P
交流サロン 皇居参観 ・フレンドシップメンバーに感謝状を! ・・・・5P
お知らせと予定                           ・・・・・6P

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